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61 - 65 ( 103 件中 ) / グループ:すべてのグループ

58)剣岳2998m
No.61 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/07/24(Sun) 09:23 [修正]
X年7月24日
真夜中に天の川と流れ星を見た。
3時半起床。
出発準備をして軽い朝食を取り周りが明るくなるのを待つ。
4時半スタート、最低限必要な荷物だけなので心も軽く歩き始めた。
雪渓を渡り岩の道を30分歩くと剣山荘着。
小休止のあと20分で一服剣に到着。
ここまでは軽い。
続いて前剣に向かうが、浮石が多く落石に注意しながら急登を喘ぎながら登って行く。

周りにはフウロ、ハクサンイチゲ、ヨツバシオガマなどが咲いているが花の数は少ない。
しかし、この岩山によくぞ登山道を開いたものと感心しながら足を運ぶ。
鎖、梯子も次々に出てくる。
ようやくにして平蔵のコルに到着した。
後続が多いため休まずに直ちに「カニのタテバイ」に取り付く。
緊張するほどではないが、17mのほぼ垂直の登りはそれなりに感動する。
これに比較して下りにある「カニのヨコバイ」は終わってあれここがと言う感じ。

タテバイを過ぎて、厳しい岩山登りを続け7:30剣岳山頂に到着。
剣山荘から所要時間2時間20分。
頂上からは後立山、槍、穂高、笠などの有名山が一望のもと。

下山時の狭い道での混雑を懸念して7:40下山開始。
この山は案内書によると登りも下りも所要時間に差がないと書かれているが、行ってみてよく理解できた。
むしろ下りの方が神経を使い時間がかかりそう。
落石もしばしば発生しており注意を要する。

9:30剣山荘着。
バテバテで冷たいオレンジジュースと水をお腹一杯のみ人心地つける。
荷物を軽くする為に持っていく水をケチったのがバテバテの原因。注意したい。

剣沢キャンプ場に戻り、テントを片付け、荷物の整理をして11:00出発。
雷鳥沢に向かう。
剣御前で小休憩。
珍しくワンダーフォーゲルの綺麗なお嬢さん達が6人もいた。
やはりこのあたりが北アルプスと南アルプスや他地区の山々との違いなのか。

剣御前から雷鳥沢へ長い道を下りていく。
13:30雷鳥沢キャンプ場着。
ここには全国から高校生中心に多くの山岳部、ワンゲルの合宿組が滞在していた。

最近山は中高年化が進み、若い人を見なくなってきたがここにはまだまだ大勢いる。
頑張ってくれよと口では言わぬが心でつぶやき地獄谷経由で室堂へ行った。
室堂から15時のバスで富山へ行き17時無事富山駅に到着した。長い歩きだった。



59)薬師岳2926m
No.62 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/07/24(Sun) 09:24 [修正]
X年7月25日
7:15さわやか信州号で大阪から室堂に到着。
同時刻に東京から到着した同行者7人と合流して立山経由で薬師岳へ行く予定だった。
しかし、あまりの暑さで立山はカットしようということになり、薬師岳のみの山行にした。
薬師岳のみであれば折立から太郎兵衛平へ出て往復する方が楽であるが、五色ケ原も魅力だということで今回のロングコースの計画になったものである。
このコースは山小屋、テント場のロケーションが中途半端で歩きの遅いメンバーがいると山中3日の行程になるが、季節がよければ日程はもう1日は短縮できると思う。

終わってみれば、1日の歩きは短いが、コース全体の長さとテント行のための重い荷物で疲労困憊となった。
また連日35度に達する異常な暑さで日焼け止めクリームを塗っても顔は真っ黒になり、修復に長時間を要してしまった。
ただ行程中水場が多かったことだけは有難く、充分水分を取ることができ、また毎日の汗を流すのには助かった。

室堂から浄土山に登り、はるかかなたに薬師岳、笠ケ岳、黒部五郎岳、鷲羽岳を展望し意気ようようと足を進めた。
龍王岳,獅子岳、ザラ峠とアップダウンを繰り返しながら14:30五色ケ原キャンプ場に到着した。

五色ケ原にはチングルマ、アオノツガザクラ、コイワカガミ、シャクナゲ、エゾヒガンと多くの花が咲いていたが、皆期待が大きかっただけに今一と言う声が多かった。

早々と夕食を取り18時には就寝にした。

7月26日、4:30起床で6:30出発。
今日も行程が短いため五色ケ原をゆっくり散策して本日の目的地スゴ乗越小屋へ向かう。
空は雲ひとつない快晴でまた暑くなりそうだ。
9:35越中沢岳、スゴ乗越と歩き14:40乗越小屋そばのテント場に到着した。

距離は短いが,紫外線の強烈な真夏の直射日光の中を、重い荷物を背負って上り下りの厳しい4つのピークを越えるのは辛い。
景色も花も見る余裕がない。

小屋では水をふんだんに貰えた為すっきりと汗を流すことができた。
また途中実感したがTシャツは速乾性のものが絶対にお奨めだ。

7月27日、今日はやや雲が出てこれまでと比較するとさわやかな朝だ。
6:30薬師岳を目指し出発した。

7:50間山、9:40北薬師岳、10:50薬師岳着。

薬師岳は遠くからもよく認識できる大きな山であるが、カールが素晴らしい。
天然記念物との表示があった。立山、黒部五郎岳、仙丈岳等々大きなカールがあるが薬師岳のカールはダントツに大きく立派な形をしていると思う。
また薬師岳の近辺には雷鳥も多いようで薬師岳の前後で雷鳥も3度親子連れを見かけた。
雷鳥は猛禽類に対する危険防止のためあえて人の多い登山道近辺の這い松をベースに生活しているとのこと。
薬師岳頂上で休憩の後、お花畑に沿って下ったが、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、チングルマ等メジャーな花が群生をなし見事であった。

薬師平を過ぎ今夜のキャンプ地、薬師峠に到着したのが14:15、太郎兵衛小屋へビールを求めに行き往復して同行者の到着を待った。

7月28日 4:20に出発し、太郎兵衛小屋から太郎平を経て折立へ下りた。折立からバスで有峰口へ行き富山行きの電車に乗った。

60)槍ケ岳3180m
No.63 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/07/24(Sun) 09:25 [修正]
X年8月13日
九州から来た友人3人と表銀座縦走コースを歩き槍ヶ岳に登ることにした。
友人に借りた車で習志野を出て東名高速に入ったが、古い車でパワー不足の為か、海老名近辺でいきなりのオーバーヒートとなつた。
これは先が思いやられると言ったが案の定、帰り着くまでに2回のトラブルが発生してしまった。

八王子から中央道に入り、松本経由で大糸線の有明に行き、ここから山へ入り中房温泉の空き地に駐車した。
14時出発で、合戦小屋のキャンプ場を目指し歩き始めたが,初めての北アルプステント行で慣れないとは言えリュックが重かった。
またこの上りは北アルプス3大バカ上りのひとつできつい上りが続く。
ようやく3時間の登りで合戦小屋に到着しテントを張った。
当日は登山客が多く上の燕山荘に泊まれないため合戦小屋に下りてくる人が多かった。
予約はしておくべきだとこの時思い、以降山小屋利用の場合は必ず予約することにしている。

8月14日
翌朝、日の出を見て6時に出発した。
1時間で尾根に出て燕山荘に到着した。
今日はまずは燕山荘から大天井岳に行くが、この道は殆んど高低差がなく極めて楽な道である。
のんびり歩いていると同行者の一人が、財布がないと騒ぎ始めた。
リュックの中身までぶちまけて捜したが無し。
やむなく4人で協議の上、3人は予定通り槍ヶ岳に登り、明日の昼頃横尾へ下りる。
1人は燕山荘まで探しに戻り我々を追いかけるか、不可の場合、常念小屋から一ノ俣谷を下り横尾へ出るということにして別れた。

一人は燕山荘へ戻る道すがら行き交う人に、財布を拾わなかったか聞いて歩いたが無し。
ところが神は見捨てず、その夜泊まった常念小屋で主人に困ったとぼやいていたところ、偶然そばにいた女性が「私拾いました」と。
翌日一ノ俣谷は増水を始めており多少危険もあったが、意気揚揚と横尾へ下りて来た。

一方3人はヒュッテ西岳で休憩し、ヒュッテ大槍に宿泊したが、ヒュッテまでの東鎌尾根の登りはきつかった。

8月15日 
小雨の中、3人はヒュッテ大槍から槍ヶ岳に登り、槍沢雪渓を下り一ノ俣を経て横尾山荘に着いた。
すると山荘に張り紙がしてあるのを見つけた。
「同行の1名が12時ころ山荘に下りて来るから待つように」との常念小屋からの連絡であった。
財布は?待つこと30分。
現れた。
ニコニコしている。
よかったなあ。

皆元気になり、河童橋に向けて歩き始めた。
上高地からバスに乗り新島々で電車に乗り換えた。
2人を松本に残し2人は中房温泉へ車の回収に行った。
回収後、松本に戻り、遅い夕食を取り、21時ころ習志野へ向けて走り始めた。

しかし、運悪く台風が接近しており、ラジオでは中央線の列車が止まったとのこと。
しかし、4人とも翌日19時の飛行機で福岡へ行く予定があり、夜を徹して走らざるを得なかった。
食堂で親切に教えてくれる人があり、浅間温泉から丸子町を通り佐久へ出ようとした。
しかしまずは一回目の崖崩れによる通行止め。
やむなく上田へ迂回して小諸から軽井沢へ向かった。
またもや通行止め。
焦ったが仕方がない。
再度北方へ進路を取り,長野原へ出て吾妻線沿いに走って中之条を通過したが、更に雨が強くなった。
道路は冠水し始め,通過30分頃にはラジオでこの道も通行止めになったと。
スリル満点で17号線を走り続け、前橋,伊勢崎,熊谷を抜け12時ころようやく習志野に到着した。
15時間にわたるドライブで皆疲れ果てたが印象深い山行になった。


61)穂高岳3190m
No.64 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/07/24(Sun) 09:25 [修正]
X年9月23日 
東京から夜行バスを利用して上高地に到着したのが6時。
天気曇。

今回は同行者4名。
穂高の主稜を登る計画であった。
バスターミナルで洗面後7時に歩き始める。
河童橋から明神池を過ぎ8:00徳沢園で休憩。
横尾山荘10:00、再度休憩後、横尾谷に沿って歩く。
本谷橋までは高度差もさほどなくのんびりと秋の風情を楽しみながら歩くことができた。
本谷橋で昼食。

橋を渡ると樹林帯に入り道は厳しくなってくる。
屏風岩に沿って歩いて行くとやがて涸沢が見えてくる。
13:30今夜の宿泊所の小屋に到着した。

小屋の周囲は紅葉がきれいで、ナナカマドも真っ赤な実をつけていた。
山を見渡すと、前穂高岳、奥穂高岳,涸沢岳、北穂高岳がパノラマのように素晴らしい姿を見せてくれた。
明日の天気が心配だが登山意欲が湧いてくる。

9月24日 
台風の接近で朝から小雨。
天候が思わしくない為、対象を奥穂高岳一本に絞り6時に出発した。
テント場を抜け,ザイテングラートに取り付き、小雨で滑りやすい岩肌をよじ登り7:50奥穂高山荘に着いた。
小屋の従業員に話を聞いて、予定通り奥穂高岳を往復することにしたが、30分であっけなく頂上に着いた。
この頃には風が強くなってきており、ガスも出て展望は全く利かず、早々に下山することにした。
帰りもザイテングラートを下り涸沢小屋で荷物を整理し、小屋を後にして昨日登ってきた道を引き返し、横尾山荘で一休みした。
まだ陽も高く充分上高地まで行ける時間であったが、徳沢園に宿泊したいとの希望が強かった為、ここで荷物を置いた。

徳沢園は周囲の環境は抜群で、食事もおいしく、充分疲れを癒すことができた。

翌日、上高地へ出て、大正池を散策し帰京した。

62)常念岳2857m
No.65 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/07/24(Sun) 09:26 [修正]
X年9月12日朝7時 
東京,横浜を各自出発し、中央線の特急電車から大糸線に乗換えて10:09豊科駅で降りた。
天気晴、同行者4人。豊科駅前からタクシーを利用して一ノ沢林道に入り、通行止めの工事現場で下車し歩行開始した。

今日は一ノ沢沿いに登り、常念小屋まで行き、翌日常念岳に登り、蝶ケ岳、蝶ケ岳ヒュッテーと縦走しヒュッテから三ツ又へ下りる計画である。

豊科から見る常念岳はピラミダルで存在感のある大きな山だ。
昔、地元の小学校の校長先生が生徒達に対して「常念を見よ」と言われていたと聞いたことがあるが、常念岳を見ているといろんなことを考える。
先生の言われる意味が分かる気がした。

発後50分で一ノ沢小屋跡着、12:00山の神着、昼食後沢沿いに登り、再び樹林帯に入り最後の詰めの急登を登りきると常念小屋に着いた。
歩行開始から5時間20分を要した。
小屋は思ったより綺麗に手入れされていたが、聞けば翌週皇太子殿下がお越しになるためとのことであった。

9月13日 
6:30常念小屋を出発し50分で常念岳頂上着。
本日も快晴で常念岳頂上から蝶ケ岳まで右手に槍ヶ岳、穂高岳の雄姿を約4時間にわたって堪能できた。
この尾根歩きは表銀座の格好のビューポイントである。
蝶ケ岳頂上手前では雷鳥の親子も2度ほど見ることができた。
これに高山植物が加わる季節であれば言うこと無しの山行になろう。

常念岳から蝶ケ岳への道は高度差約200mを緩やかに下って行き、途中のアップダウンも少ない楽々の道である。
景色を満喫し、疲れることもなく常念岳より4時間で蝶ケ岳ヒュッテに着いた。
ヒュッテでタクシー会社に電話し、3時間後に三ツ又へ来て貰う様依頼した。
すぐ蝶岳新道を三ツ又へ向け下山し、ほぼ予定通り2時間40分で到着し豊科へ帰った。

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