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■ SGF焼酎グルメファンド 会員コラム

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19)飯豊山2105m
No.21 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/04/28(Thu) 16:26 [修正]
19)飯豊山
X年10月10日、伊丹より福島空港へ。連絡バスで郡山駅へ行き、東京からの同行者2人と合流する。
今回は3人の山行の為、レンタカーもVitzと廉価版にした。
喜多方でラーメンを食し、テント行の為の食材を仕入れ、御沢キャンプ場へ向かう。

途中ブルーとブラウン二種の色の湯を持つ「いいでの湯」に立ち寄る。ここは地域のコミュニケーションの場のようで大勢の地元の人が来ていた。
設備も整っている。

10月11日6:00出発。
秋の山は夜明けが遅い為出発が遅くならざるを得ないのが辛い所。
キャンプ地は前夜は我々だけだったが、今朝は10台ほど車が止まっていた。

出発後、高度を上げるに従い紅葉が濃くなり、朝日に映えてくる。この山はほぼ500mピッチで標識と休憩所があり、歩く目安になり重宝する。

滑りやすい根っこの多い道を過ぎ、尾根に出て300mは続くと思われる岩場を慎重にかつ喘ぎながら登る。
景色はいいが緊張を強いられる場所である。

三国山で後続の同行者と時間調整の為休憩したが、近くの山々から素晴しい紅葉が遠方まで続き、そのはるか向こうに飯豊連山がでんと構えて鎮座している様がよく見える。
すごく大きな山塊だ。存在感がある。

紅葉は黄色がベースだが、ナナカマドの赤、石英岩と雪渓の白、這い松の緑と見事なコントラストを形成しており、1時間ほど自然の美に浸り続けた。

13時切合小屋着。9月より無人で無料。夕食時福島の病院の方達に芋煮会に誘われ有難く参加させて頂く。
山形流の芋煮とのことで牛肉、小芋、白菜、しめじ等を酒、みりん、醤油で味付けたもの。初めて頂いたが、とても美味しかった。

10月12日 鼾小父さん2人のため寝不足だったが、5:45頂上に向かって出発した。

同行者1名は芋煮を食べ過ぎお腹を壊しあえなくダウン。そのまま下山した。
2人で小雨の中を進み、1:25飯豊山本山到着。
雨のため紅葉も山の姿も今一。寒さもあり急いで切合小屋に戻り、リュックを背負い下山にかかる。

下山の途中からは天候も回復し振り返ると飯豊本山がくっきりと姿を現した。
三国山から件の岩場を慎重に下り林の中に入ったとたん油断で、木の根にスリップダウン。
指を少々痛めたが何とか無事キャンプ地に着いた。

先に下山していた腹壊し人をVitzに回収し郡山経由で福島空港へ戻った。

飯豊山は素晴らしい山だ。標高こそ2105mしかないが、アプローチの歩行時間も充分あり、山の姿・大きさも北アルプスの名山と遜色なかった。
下山後のいいでの湯温泉もいいし、飯豊山への往復の途中にある喜多方のラーメンも美味しい。


http://sgf-jp.net/yama/yama.htm
20)吾妻山2035m
No.22 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/04/28(Thu) 16:27 [修正]
20)吾妻山
X年7月14日 
前日家族旅行で裏磐梯に宿泊したが、家族をおいて4:30単身出発。

前回、濃霧のため登山口までたどり着けず中止したため、今回は再度のトライアル。

またしても朝霧が濃い中を白布峠へレンカーを走らせ1時間で到着。

峠の登山口から山に入るが同行者なし。
早朝、熊笹の中の樹林帯を1人歩くのは気持ちのいいものではない。
なるべく音を立てて歩こうと、立ち木を叩き、歌を歌いながら森の中を走るように進む。

8:00西大巓に出て展望が開けた時はほっとした。
展望が開けるとともに天候も回復しはじめ、夏の草原にはコバイケイソウが群生をなしていた。

西大巓より30分で西吾妻山に到着。
頂上は樹木の中で展望がなく人もいない為気味が悪い。早々に下山にかかる。

しかし、西大巓に戻っても誰にも会わない。
再び恐怖感にかられながら1時間経ち、ようやく三々五々登山する人に会えた。
ほっとする。山は1人で来るものではないとこの時ほど実感したことはなかった。

頂上より2時間でスタートの白布峠に戻り、裏磐梯の宿に帰る。
このころにははすっかり晴れ上がり桧原湖も明るい湖面を見せてくれていた。

磐梯から五色沼を回り、磐梯山を見ながら福島空港へ戻り大阪への飛行機を待った。



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21)磐梯山1819m
No.23 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/04/28(Thu) 16:28 [修正]
21)磐梯山
X年10月19日曇 
前日東京よりマイカーで郡山に来て宿泊した。
今回は3人のメンバーで磐梯山、吾妻山、安達太良山の3山を登る予定だった。

初日は6時スタートで磐梯山に向かう。
磐梯ゴールドラインに入りほどなく八方台登山口に着く。

中学生の山行組と一緒になり騒々しいスタートになった為、途中休憩する間もなく急ぎ、1時間強で磐梯山頂上に着いた。
頂上に近づくにつれガスが出始め頂上では全く眺望が利かない状態になった。
やむなく、急いで下山し11:30、再び西吾妻山へ向けスカイラインを走った。

しかし、吾妻山登山口の白布峠のはるか手前でさきほどの磐梯山の比ではない濃霧が出てきてこれ以上走るのは危険と判断した。
このため、吾妻山登山はまたの機会にすることとして引き返した。

この日は再び磐梯ゴールドラインを戻り、喜多方経由で会津若松へ行き、予約していたビジネスホテルに泊まった。


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22)安達太良山1700m 
No.24 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/04/28(Thu) 16:28 [修正]
22)安達太良山
10月20日曇 
会津若松を7:45出発し、安達太良山の山麓の町岳温泉へ向かった。

二本松経由岳温泉着9:05。
まずはスキー場のゴンドラを利用し安易に八合目より上り始めることとする。
五葉松平に着くと安達太良山頂上がすぐそこに見える。

上り始めてわずか45分で頂上到着。
頂上から少し先の沼の平火口底に立ち寄ったが有毒ガス注意の標識がキラキラ光るため、危険を感じて早々に五葉平へ戻った。

後日、火口底では有毒ガスの影響により数名の死者が出たとのこと。
後方羊蹄山に続き我々の登山後ほどなく犠牲者が出たのはこれで2度目である。

更に3度目は04年5月。
同行はしなかったが屋久島の沢上りで友人が遭難してしまった。   
合掌

                       (東北 南部 終)

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23)苗場山2145m
No.25 / Group:日本百名山登山記録
Date: 2005/06/24(Fri) 08:52 [修正]
X年7月10日 
大阪空港発19時の飛行機で新潟へ行き、市内のビジネスホテル泊。
今回の山行は苗場山、魚沼駒ガ岳及び平ガ岳の3山を3日で登る行程だ。

7月11日
新幹線で越後湯沢へ行き、東京より来た1名と合流しレンタカーを借りた。

レンタカーで苗場山登山口へ。
前走の車について走ったため、ゲートの一般車通行禁止の看板を見落とし和田小屋まで行ってしまった。
この結果、帰りの際にゲートの鎖を閉じられてしまい、和田小屋の従業員に訳を話してひたすら謝りゲートを開けて貰うという一件を引き起こしてしまった。
無事次の目的地浦佐へは行くことができたが。

和田小屋発9:10。
小雨降る中、林の中の道を進む。林を抜けると下ノ芝、上ノ芝と展望が得られるようになる。
しばらくすると道は一旦下りまた登り返すが、最後の上りを終わると,急に広い台地へ出た。
しかしどこが頂上なのか俄かには分からない。
えい侭よと進んでいくと山小屋遊仙閣があった。
この山小屋の裏に山頂があったが、ここそこが山頂だと言ってもそうですかという感じの平な土地である。

台地に飛び出た時から、天候が回復し始め青空も出てきた。
遊仙閣前の見通しの良い場所に出ると、平ガ岳など近隣の山々と草原、池塘、シラビソ、木道がバランスよく配置された形になっており自然の力とはいえ見事、絶景である。
昼食後下山開始。まもなく天候は再び下り坂になり、和田小屋に到着したときは土砂降りの雨になってしまった。
ようやく車に戻り、身支度をしてゲートまで走るとチェーンロックされており、前述の通りの顛末。
注意が足りなかった。
反省です。

越後湯沢から浦佐へ向かい、浦佐駅東のビジネスホテルへ投宿する。
ホテル隣のホルモン屋の夕食は美味だった。


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